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東京高等裁判所 昭和56年(ネ)2184号 判決 1983年1月31日

控訴人 中馬五夫

右訴訟代理人弁護士 石黒康

被控訴人 株式会社日宅建設

右代表者代表取締役 小林照彦

右訴訟代理人弁護士 佐藤成雄

主文

一  原判決中控訴人関係部分を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五五年八月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実

一  控訴代理人は、「原判決中控訴人関係部分を取り消す。被控訴人は、控訴人に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五五年八月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張並びに証拠の提出、援用及び認否は、次に付加するほか、原判決事実摘示(原判決九枚目表四行目から一三枚目表一〇行目まで)と同一であるから、これを引用する(ただし、原判決九枚目中、表五行目の「前記」を「左記」に改め、表六行目の次に

「    記

売主 被控訴人

買主 控訴人

目的物件 別紙物件目録記載の土地及び建物

代金 三三〇〇万円

支払方法

手付金 一〇〇万円 契約成立時

中間金 二〇〇万円 昭和五四年六月二五日

残金 三〇〇〇万円 同年七月二六日  」

を加え、表七行目の「中原」を「中馬」に、原判決一一枚目裏一一行目の「原告山水」を「訴外山水建設株式会社(以下「訴外山水」という。)」に、原判決一二枚目表四行目、表六行目及び表八行目の「原告山水」をいずれも「訴外山水」に、原判決一三枚目表四行目の「原告ら」を「原告」に改める。)。

1  控訴代理人の陳述

(一)  本件売買契約には、「被控訴人は、昭和五四年七月二六日までに本件売買目的物件(以下「本件物件」という。)について、完全な所有権移転登記申請の手続を完了しなければならない、抵当権、質権、先取特権又は賃借権その他一切の権利は右登記までに抹消し、所有権行使を阻害するおそれのあるときも所有権移転登記申請の時までに完全に抹消しなければならない。」との約定(三条)及び「控訴人は、被控訴人が右の手続一切を完了すると同時に残金三〇〇〇万円を支払うものとする。この支払により所有権が移転する。」との約定(六条)があった。

(二)  右約定は、被控訴人の本件物件の引渡、登記義務について先履行義務を明定したものである。すなわち、被控訴人は、昭和五四年七月二六日以前であっても右、、の手続を完了させて残代金の支払を求めることができるが、右同日までには残代金の支払がなくても右手続を完了させなければならず(三条)、これに対し、控訴人は、被控訴人の右手続が完了しない限り残代金の支払義務はない(六条)が、同日より前に残代金を支払っても同日までは右手続を要求することはできない(三条)という関係にあったものと解すべく、被控訴人は残代金支払義務の履行期を到来させるためには、手続完了の期限たる右同日の前であると後であるとを問わず、右手続を完了させなければならなかったのである。しかるところ、本件物件には抵当権者多摩中央信用金庫のため、債権額を金二七〇〇万円とする抵当権設定登記が経由されており、被控訴人は右登記の抹消登記手続を了していないから、その先履行義務は履行されておらず、したがって、控訴人の残代金の弁済期は到来せず、控訴人に債務不履行の責任を問うことはできない。

2  被控訴代理人の陳述

(一)  控訴人の右主張(一)は認める。

(二)  しかし、その約定の趣旨は、次のように解すべきである。すなわち、

(1)  の「登記までに」というのは、「所有権移転登記がされる以前に」という意味であり、所有権移転登記の申請と抵当権設定登記等の抹消登記の申請とが同一機会にされ、これに基づいて所有権移転登記に先立ち抵当権等の抹消登記がされれば足りる趣旨であり、は、登記された抵当権等の負担のほかに、登記されていないものであっても所有権の行使を阻害するおそれのある権利や事実上の障害があるときは、これを所有権移転登記申請の時までに消滅させておくべき旨の約定である。被控訴人としては、所有権移転登記申請よりも前に抵当権設定登記の抹消登記を完了しておくべき義務はなく、所有権移転登記がされる直前に抵当権設定登記の抹消登記がされるように処理すれば足りるものである。したがって、被控訴人は、昭和五四年七月二六日に残代金の受領と引換えに右手続をすれば足りるものである。

(2) しかも、控訴人は、被控訴人に対し、右約定の期限の一週間前に残代金の支払を期限に履行することについて確約できない旨を伝え、かつ、右期限の前日には支払ができない旨述べているのである。これに対し、被控訴人は、先に引用した被控訴人の抗弁2のとおり被控訴人側の履行準備を完了した上控訴人にこれを通告しているのであって、控訴人の右のような履行準備状況に照らすと、被控訴人のすべき履行の準備は右の程度で十分であったというべきである。

(三)  原判決一一枚目表一行目を次のように改める。

「5 同5は争う。

6 同6のうち、本訴状送達の日の翌日が昭和五五年八月二三日であることは認め、その余は争う。」

3  証拠関係《省略》

理由

一  控訴人は、昭和五四年六月一一日被控訴人との間で、同人から本件物件を買い受ける旨の本件売買契約を締結したこと、控訴人は、被控訴人に対し、手付金一〇〇万円及び中間金二〇〇万円を約定どおり支払ったが、残代金三〇〇〇万円については約定の同年七月二六日に支払わなかったこと、被控訴人は、右残代金支払期日に支払の催告及び自己の債務の履行の提供をしなかったこと、被控訴人は、控訴人に対し、同年八月九日到達の内容証明郵便で本件売買契約を即時解除する旨の意思表示をし、翌一〇日本件物件を渡辺裕に売り渡してその翌日その旨の所有権移転登記手続を了したことは、いずれも当事者間に争いがない。

右各事実に《証拠省略》を総合すると、本件売買契約成立後、被控訴人が控訴人に対してこれを解除する旨の意思表示をし、本件物件を渡辺裕に売り渡すに至る経緯は次のとおりであることが認められ(る。)《証拠判断省略》

1  控訴人は、不動産業を営む佐藤睦郎から本件物件の仲介業者である訴外山水の広告チラシを見せられてこれを購入しようと考え、右佐藤と共に訴外山水に赴き、本件物件を買い受けたい旨の希望を伝えたところ、訴外山水は、矢吹丞を担当者として被控訴人との仲介に入った。被控訴人は、当初売買代金の約一割を手付金としてもらいたいとの希望であったが、矢吹丞は、控訴人が銀行(株式会社第一勧業銀行)の住宅ローンにより代金を支払う予定であったことから、手付金を一〇〇万円とし、中間金を二〇〇万円とした上、住宅ローンが内定するまでの期間を考慮して昭和五四年六月二五日を中間金支払期日としてもらいたい旨の交渉をし、矢吹が住宅ローンは手続完了の時期が確定できないので多少遅れることもあり得る旨申し入れたのに対し、被控訴人の代表者小林照彦がそれは仕方がない旨答えるというやり取りを経て、同月一一日本件売買契約が成立した。

2  本件売買契約において、本件売買残代金の支払期日は同年七月二六日と約定され、銀行融資が不調となったときは、中間金支払期日である同年六月二五日までであれば控訴人は無条件で解除することができ、その場合は手付金も無条件で返還されること、当事者双方のいずれであるとを問わず契約条項の一つにでも違背したときは、その相手方は催告をしないで契約を即時解除することができ、その場合、被控訴人の義務不履行のときは手付金の倍額を返還し、控訴人の義務不履行のときは手付金の返還請求ができないことなどが約定された(右約定の事実は、当事者間に争いがない。)。

3  控訴人は、売買残代金支払のための銀行融資手続を佐藤睦郎に一任していたが、融資を受けられることは間違いないものと確信していた。そのため、矢吹丞は、昭和五四年六月二五日に中間金二〇〇万円を支払った際、銀行融資が内定した旨告げたので、被控訴人としても、月余の期間を置いている残代金支払期日には間違いなく支払が受けられるものと安心していた。

4  被控訴人は、残代金の入金を当てにして本件物件に設定されている抵当権の登記の抹消や支払手形の決済を予定していたので、本件物件に債権額二七〇〇万円の抵当権設定登記を経由していた多摩中央信用金庫と連絡をとり、昭和五四年七月二六日に抵当権設定登記の抹消登記手続に必要な書類の準備をするよう依頼してその同意を得、自らも所有権移転登記手続の準備を整えた上、右期日の一週間ぐらい前に訴外山水に電話で、被控訴人側の準備はできたが残代金の支払は間違いないかと問い合わせたところ、まだローンが下りてこないのでちょっと待ってほしい旨の返事を受けた。そこで、被控訴人は、右期日の前日に再び訴外山水に問い合わせたところ、ローン手続が未了であるから明日の支払は間に合わないと言われ、あわてて控訴人方に電話したが、控訴人の妻が応待に出たので、残代金支払について話を聞きたいから被控訴人に電話するようにと、控訴人への伝言を依頼し、多摩中央信用金庫に対しては抵当権の抹消登記の期日が延びる旨連絡した。しかし、控訴人からはもとより、訴外山水からも、同年八月八日まで全く連絡がなかった。被控訴人は、残代金支払期日経過後、控訴人側に対して問い合わせたり履行の催告をするなどの措置をとらないまま相当期間待ったが、控訴人側からも何の連絡もないので、同日控訴人に対し、残代金不払を理由に本件売買契約を解除する旨の通知(内容証明郵便)を発し、同月一〇日には渡辺裕に対して本件物件を売り渡し、翌一一日その旨の所有権移転登記を了した(本件物件を渡辺裕に売り渡して所有権移転登記を了したことは、当事者間に争いがない。)。

5  住宅ローンは、銀行の手違いから手続が遅延することになった。中間金の支払を済ませた後これを知った控訴人は、銀行の担当者に対して、手続を催告し、被控訴人にその旨説明するよう依頼するとともに、矢吹丞に被控訴人の了解を求めさせた。銀行の担当者は、右の依頼を受け入れて、残代金支払期日前に被控訴人に対し、「銀行の手違いから手続が遅れて申し訳ない。」「多少遅れているが必ず実行するからよろしく頼む。」旨電話で申し入れた。同年八月上旬、控訴人は、住宅ローン融資が決定した旨の連絡を受けたため、同月四日株式会社住宅ローンサービスに出向いて手続を了し、同月九日に手数料及び保険金を振り込んだ上、その領収書を携えて被控訴人を訪れ、このとおりローン手続を終わった旨告げたところ、被控訴人は、一日遅れでどうにもできないので被控訴人の弁護士に相談してもらいたい、七月二五日に電話連絡するよう伝えたのになぜ連絡をしなかったのかと難詰し、結局物別れとなった。控訴人は、帰宅後右契約解除の通知が到達していることを知ったが、更に翌一〇日には、被控訴人から契約解除により手付金を没収し、中間金は返還するので受領されたい旨の通知を受けた。控訴人は、住宅ローンからの二七〇〇万円と取引銀行から融資を受ける三〇〇万円(抵当権を設定してあるため、その融資わくからいつでも融資を受け得る状態であった。)とで残代金を支払うこととしていたが、契約解除の通知を受けたため、間もなく住宅ローンの解約手続をした。

二  そこで、被控訴人が控訴人に対してした本件売買契約を解除する旨の意思表示の効力について検討するに、

1  本件売買契約には、「被控訴人は、昭和五四年七月二六日までに本件物件について完全な所有権移転登記申請の手続を完了しなければならない。抵当権、質権、先取特権又は質権その他一切の権利は、右登記までに抹消し、所有権行使を阻害するおそれのあるときも、所有権移転登記申請の時までに完全に抹消しなければならない。」との約定及び「控訴人は、被控訴人が右の手続一切を完了するのと同時に残代金三〇〇〇万円を支払うものとする。この支払により所有権が移転する。」との約定があることは、当事者間に争いがない。右の約定は、控訴人の残代金支払義務は同年七月二六日に被控訴人の本件物件上に経由されている抵当権設定登記抹消及び本件物件の引渡し、所有権移転登記義務と同時に履行されるべき関係にあることを約定したものと解するのが相当である。

2  そこで、次に、控訴人が同年七月二六日残代金を支払わなかったことにより、履行遅滞の責めを負うかどうかについて考えるに、被控訴人が右期日に残代金支払義務と同時履行の関係にある自己の債務の履行の提供をしていないことは前記のとおりである。しかし、控訴人側の事情についてみると、控訴人は住宅ローンの手続が遅れたため、右期日に残代金を支払うことができないことは明らかであって、しかも、被控訴人は、その前日には訴外山水から、明日の支払は間に合わない旨の通告を受けているのである。右の事情を考えると、被控訴人が右期日の一週間前には自己の債務の履行準備を整えた上、控訴人側に履行準備が完了した旨通知して口頭の提供をしており、右期日にも履行が可能の状態にあったことが認められる本件においては、被控訴人が控訴人に対し履行遅滞を理由として解除権を行使するためには、右期日において改めて履行の提供をすることを要しないと解するのが相当である。したがって、控訴人については、同年七月二六日の徒過により、解除権発生の要件としての履行遅滞が生じたものというべきである。

3  ところで、本件売買契約においては、当事者のいずれであるかを問わず、その一方が契約条項の一つにでも違背したときは、その相手方は催告をしないで契約を即時解除することができる旨の約定が存することは前記のとおりである。しかしながら、住宅ローンの手続が予定よりも遅れることがあることは一般に知られているところ、被控訴人は、控訴人が残代金の支払について住宅ローンを利用することを知っており、住宅ローンを利用することを前提として本件売買契約を締結しているのであって、しかも、契約締結に際し、矢吹丞がローン手続が多少遅れることがあり得る旨述べたのに対して、仕方がない旨答えているのである。そして、被控訴人は、銀行の担当者からも、手続が遅れてはいるが必ず実行する旨の連絡を受けたほか、残代金支払期日の一週間ぐらい前に、訴外山水からまだローンが下りてこないので待ってほしい旨の申入れを受けたが、これを拒絶する意思を示さなかった(これを拒絶した旨の被控訴人代表者の原審及び当審における各本人尋問の結果は、採用しない。)のである。右のような事情の下においては、控訴人が期限の猶予を得たものと考えるのも無理からぬことであり、だからこそ、控訴人は右期日を徒過した後も引き続き鋭意住宅ローンの手続を進めていたものと考えられる。しかも、被控訴人は、右の銀行の担当者の説明や訴外山水の返答から、控訴人が期日を徒過した後も住宅ローンの手続を進めていたことを知っていたというべきであって、同年八月八日に至るまで控訴人からの連絡を待ってはいたものの、その間、控訴人に対して右手続の進行状況を問い合わせることも残代金の支払を求めることもせず、突如として契約解除の意思表示をしたのである。もしも、被控訴人が控訴人に対し、相当の期間を定めて残代金の支払を催告していたとすれば、控訴人は、住宅ローンの手続を急がせて、本件契約解除の意思表示よりも前に残代金の支払をなし得たかも知れないのである。現に、控訴人が被控訴人を訪れ、関係書類を示してローン手続を終わった旨伝えたのは、被控訴人が発した本件契約解除通告(内容証明郵便)が控訴人に到達するよりも前であったのである。以上のような事情を総合勘案すると、いかに催告を要しないで即時解除をすることができる旨の特約があったとはいえ、被控訴人が控訴人の履行遅滞を理由として、何ら催告をすることなく本件売買契約を解除することは、信義則上許されないものと解するのが相当である。したがって、本件契約解除の意思表示は、その効力がないものといわざるを得ない。被控訴人の抗弁は、理由がない。

三  そうであるとすると、被控訴人は、昭和五四年八月一〇日本件物件を渡辺裕に売り渡し、翌一一日その旨の所有権移転登記を了したのであるから、被控訴人の控訴人に対する本件物件の引渡し、所有権移転登記義務は、被控訴人の責めに帰すべき事由により、履行することが不能になったものというべきである。そして、前記手付金に関する約定によると、本件手付金は、違約手付金であり、当事者の一方がその債務を履行しないときは、それが控訴人である場合には手付金を没収することにより、それが被控訴人である場合には手付金の倍額を返還することにより、契約関係を清算する趣旨のものであると解されるから、本件手付金を交付した控訴人は、あらかじめ本件売買契約を解除する手続を経ることを要しないで、被控訴人の責めに帰すべき履行不能を理由として手付金倍返しの請求をすることができるものと解するのが相当である。

四  以上の認定及び判断の結果によると、本件手付金の倍額である金二〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが当事者間に争いがない昭和五五年八月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める控訴人の本訴請求は、正当として認容すべきである。そうすると、右請求を棄却した原判決は不当であって、本件控訴は理由があるから、民訴法三八六条により原判決を取り消した上、本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 川上正俊 渡邉等)

<以下省略>

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